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#第1回、第2回はとりあえずもづくんの[57051]〜[57053]、[58730]〜[58734]で代用。
■第3回■
盆休みを利用してささちゃんと一緒に渡航。
主目的は旧キハ141,142に乗ること。
・8/15
【Yangon近郊】
前日に大韓KE471でヤンゴン入りし、タマダホテル泊。
ヤンゴン市街では目を見張るような日本製のボロの乗用車がほとんど見られなくなってしまっていた。
■Computer Univ.支線運用車
(1本目)RBE2573(キハ47503)+RBE2513(NT103)
(2本目)RBE2589(キハ48302)+RBE2588(キハ48301)
Computer Univ.にて昼寝に入った二本。
■Thilwa Port支線運用車
RBE2547(MR-104)+RBT818
RBE2547+RBT818 Thin Gan Gyun
■East Univ.支線運用車
RBE2567(平筑101)+RBT819
Yangonにて機回し中の光景。
■Dagon Univ.支線運用車
RBE2577(MR-111)+RBT835
RBE2577+RBT835 Toe Gyaung Kalray
■Hlehlaw-In支線運用車
RBE2546(MR-302)
■Insein機関区留置(6:10)
(列車内から確認できた車両のみ)
RBE2505(名鉄キハ25),RBE2530(36-401),RBE2590(キハ48303),RBE3607(キハ581041)
RBE5002(キハ52109),RBE5011(キハ52110),RBE5019(キハ581514),北斗星風塗装のDD51*2
RBE5002
■Yangon工場留置(6:10)
(誇線橋から確認できた車両のみ)
RBE2545(MR-203),RBE2538(AR106)
旧のと車一台(ピカピカ),旧キハ52一台(運転室窓ガラスが青い板),旧キハ47一台(RBE2574と思われる)
■Mah Lwa Gon機関区留置(14:30)
(列車内から確認できた車両のみ)
RBEP5033以下旧キハ181系5連
■乗車記録(時間は実際の記録を示す)
Yangon 5:20 - Da Nyin Gon 6:31
RBE2573+RBE2513(乗)
5月訪問時には「圧力が上がらない」という理由で運用を離脱していたRBE2573が復活していた。
が、やはり整備不良丸出しな爆音を轟かせていたので、乗りたい方はお早めに。
総括制御ができないため、動力は先頭車のみ。
RBE2513の蛍光灯はすべて絶命したようで、出発時の車内は真っ暗。
夜が明けてきて、RBE2513車内がまっ黄色に塗装されていることがわかる。
賑やかな市場に隣接し、「らしい絵」が撮れるDa Nyin Gonで下車。
RBE2513は旧NT103で、のと鉄道時代末期には「ノットエクスプレス」として黒塗りされていた車。 Da Nyin Gon
車内はまっ黄っ黄
RBE2513の車体表記。
「PZT」は所属区所? 前回検査が2012年10月31日で次回検査予定が2013年10月?
Da Nyin Gon 6:50 - Aung San Myo 6:58
機関車不明,BDTE LED Z 12255(乗)
ヨンハチを迎えに一駅戻り。
Aung San Myo 7:04 - Computer Univ. 7:57
RBE2589+RBE2588(乗)
Aung San Myoに進入するComputer Univ.行のRBE2589+RBE2588
入線を撮影して本線上から乗車。
上下本線間のぬかるみに足を取られてもたついたが、こういうときは乗客が協力して引っ張り上げてくれる。
総括制御実施。
RBE2589はエンジンカット。
RBE2588の機関は静かで振動も少なくとても状態が良い。
RBE2589とRBE2588の間は双方の幌を無理やり繋げていて、幌はちぎれかけ寸前。
Hlaw Kaの場内手前で先行列車の機回し待ちで停車したので、上り本線に降りて列車写真を撮影。
撮影しているうちに動き出してしまったので、走って追いかけて飛び乗り。
信号停車中のなんちゃって走行写真 Tha Du Kan-Hlaw Ka
大学開校日にComputer Univ.支線に乗ったのは初めてで、この路線の素性を見ることができた。
Computer Univ.まで行く大学生は2〜3人のグループがボックスにまばらにいるくらいで多くはない。
列車の時間が朝早すぎるので、持参した弁当を開ける学生が多い。
運転席では乗務員と女学生が仲良く談笑。
車内は朝食タイム。金属製三段式弁当箱を開けるコンピューター大学の女学生たち。
助士席は乗務員と仲のいい女学生の指定席らしい。
ブレーキハンドルはミャンマー国鉄が自作したもの。
各種ハンドルはミャンマーでの自作品やスパナ等での代用が多く、不足に苦慮している様子。
ハンドル類は日本から両数分渡されなかったのだろうか?
終点のComputer Univ.に着いても学校が始まる9時頃までは車内に留まる学生が多く、薄暗く静かな車内は
カップルたちの幸せなスペースになっていた。
弁当を持たない学生は、待合室の屋台で乗務員と一緒に朝食。
学生達と一緒に屋台のタミンジョーを食べ、しばらくゆっくりした後、京阪宇治交通のバスでヤンゴンへ。
朝食を取る学生たちで賑わう平日朝のComputer Univ.駅。
Yangon 12:00 - Dagon Univ. 13:28
RBE2577(乗)+RBT835
外人用切符売り場へ向かうとココさんが走り出てきてくれた。(maya+が我々の訪問を伝えてくれていたので、
「まだかまだか」と待ってくれていた様子。)
夜行の切符を作ってもらってホームへ戻ると、Dagon Univ. 行の列車にRBEが見えたので、ココさんの昼食の
誘いを断って飛び乗り(^^;。ココさんは「Mr.ROKUは三度のメシよりRBEが好きだ」と理解してくれているので無問題。
前回前々回訪問時、Dagon Univ. 支線は客レしか走っておらず無念な思いをしており、晴れてリベンジ叶った!
#ココさんがRBEのことを「でんしゃ」と呼ぶのに耐えられなくなり、「電車はelectric carのみを指し、RBEや
#環状線のtrainは『れっしゃ』と呼ぶのが良い」と教えておきました。(^^;;
Toe Gyaung Kalrayで12:35〜13:05まで対向客レの交換待ち。
休憩中の乗務員たちと意気投合し、支線区間では先頭のサン板の上にビデオカメラを置かせてもらって
動画を撮影。
支線のレールは雨季のため泥の中に没している箇所があり、列車は車輪からヌチャヌチャと音をたてながら
そろりそろり進む。まるで田んぼの中を歩く牛のよう。
陥没が進む路盤の修正工事は行われているが、人力作業なのででぜんぜん追いついていない。
Dagon Univ.構内は地盤沈下でますますレベルの狂いがひどくなっていた。
Toe Gyaung Kalrayで停車中、RBE2577にはポリタンクで給水が行われた。
泥に埋没した線路をそろりそろりと進む。
保線作業は地道に行われているものの、地盤沈下のペースに追いついていない。
Dagon Univ. 13:38 - Yangon 14:57
RBE2577(乗)+RBT835
Dagon Univ. での機回し風景。入換中でも乗りたい客は乗っている。
昼下がりのDagon Univ. 駅は早くも学校帰りの学生で賑やかで、1月に客レで訪れたときに閑散と
していたのが嘘のよう。
ホームに座る学生カップルたちに奇異の目で見られながら機回しシーンを撮影するのはちょっと痛かった。
14:10のToe Gyaung Kalrayでは、当列車とThilwaへのRBE2547+RBT818とEast Univ.からのRBE2567+RBT819が
3並びに! Thilwaへの列車とEast Univ.への列車がそれぞれ一時間程度遅れていたため実現したもの。
Toe Gyaung Kalrayで見られた支線運用車の3並び!
左がEast Univ.からのRBE2567+RBT819、右がThilwaへのRBE2547+RBT818で、RBE2577から撮影。
Yangon 17:00 - Naypyitaw 2:42 3Up
DF-1359,BDUE LED Z 10764(乗)
駅横の浴場で汗を流したあと、ココさんに案内されてマンダレー行3Upのupper class(特等)座席車に乗り込み。
upper class寝台が満席で取れなかったのが残念。走行中の車両は激しくジャンプするので座席ではまともに
寝られない。が、停泊気動車のチェックをしようと思っていたTaungooの10分停車は全く記憶が無く、無念・・・
食堂車で酔っ払いに絡まれ始めたとき、どこで見ていたのか鉄警がしれーっと現れたのには凄いと思った。
3Upの食堂車にて。タバコ吸えますよ、愛煙家の皆さん。
・8/16
【NaypyitawからPyayへ】
早朝2:40のネピドーで下車。(鉄警と車掌が起こしにきてくれた。)
Bagan行ゴーニのあと、同じルートをPyay行141,142が追いかけるのは明白だったので、両方に乗るべく
テキトーにDa Lant Chanまでゴーニの切符を買い、時間になるまで発券してくれた駅員と雑談。
「この駅どう思う?」と聞かれたので、「ミャンマーでいちばんきれいと思う」と答えたら喜んでくれた。
■Pyay〜Naypyitaw間運用車
←Sat Thwar
RBE2586(キハ141-11)+RBE5047(キハ142-10) 109Up
RBE5048(キハ142-11)+RBE2585(キハ141-10) 110Dn
Sat Thwarで交換する110Dn(左)と109Up(右)。
■Naypyitaw〜Bagan間運用車
←Bagan
RBE5009(キハ52153)+RBE5003(キハ52126) 107Up
RBE5006(キハ52145)+RBE5001(キハ52108) 108Dn
108Dn Sat Thwar
■Naypyitaw留置(4:00)
←Mandalay
RBE5003(キハ52126)+RBE5009(キハ52153) アイドリング中
RBE2568(平筑303) 乗務員が車内で待機中
RBE5047(キハ142-10)+RBE2586(キハ141-11) 機関停止
Naypyitawで停泊中のRBE2568。運転士のバッテリー式照明器具で車内が照らされている。
■Pyay機関区留置(18:00)
(全車確認)
RBE2586(キハ141-11)+RBE5047(キハ142-10)
RBE2509(名鉄キハ34)
LRBE1
LRBE3
全て機関停止
Pyay機関区で長旅の疲れを癒すRBE2586。
LRBE3とRBE2509。
LRBE1。独特のフォルムと独創的なゴムタイヤ駆動に注目。
実はミャンマーでは気動車を独自の思想・設計で造り上げて実用することに成功している。
■乗車記録(時間は実際の記録を示す)
Naypyitaw 5:00 - Da Lant Chan 7:30 107Up
RBE5009+RBE5003(乗)
Naypyitawで出発を待つ107Up。
総括制御実施。
指定された2号車A9,B9席は布団が脱落しており、出発前に席のチェックにやってきた件の駅員さんは
すぐさま券面の席番を手書きで変更。テキトーに変更したのではなく、しっかり台帳に基づいていた。
行程前半は田んぼの中を真っ直ぐ、それ以降は林の中で曲線が多い。
地図上ではPyinmanaからSat Thwarにかけて山越え区間のように見えるが、勾配はほとんどない。
隣のボックスに居座ろうとした物売りのおばちゃんらは、鉄警によって「みっともないから」みたいな感じで排除。
各駅では野良犬とともに野良豚がうろうろしているのが印象的。
後続のPyay行き109Up(キハ141)に乗り換えるべくDa Lant Chanで下車。が・・・(^^;;;
107Upの切符。どういう基準なのかこの列車の旧キハ52はfirst class。
本来指定されていた席が壊れていたため、席番は車内で修正された。
RBE5003での車内風景。
同席となった美少女。
Da Lant Chanを後にする107Up。RBE5003の前面下部に紐でくくりつけられている棒は何やろ?
Da Lant Chanの駅前は泥の上に板が渡してあるという典型的なミャンマースタイル。
この駅でも豚が我が物顔でうろうろ。
駅ナカのカフェでは登校中の小学生をよそに男たちがダベダベ。
英語が全くできない駅長に109Upの切符を求めると、「Pyay行きは無い」とジェスチャー。
はぁ?? なんで?? 線路は一本しかない! ゼッタイに追っかけてくるハズ!
狐につままれた感じで慌てていると、状況を察したのか一人の若い男性が英語で話しかけてくれて救われた。
どうやら、109UpはDa Lant Chanを通過するらしい。
この男性はたまたま布教に来ていたキリスト教の宣教師で、Baganの近くからやってきたとのこと。
彼は我々のために109Upに乗る方法を調べてくれ、次の各駅停車でSat Thwarまで行って乗り換えればいい
ということを教えてくれ、駅長に私たちの事情を説明して切符まで手配してくれた。なんとも感謝。
Da Lant Chanの駅舎。
外人用切符の発券方法が分からない?駅長をみんなで手助け中(^^;;
出された切符。地紋が無いのは珍しいカモ。
列車の時間になるまで駅ナカのカフェで宣教師さんとお茶。
Da Lant Chanの町には自動車が無く、交通手段は牛か馬か鉄道だけ。
ジャングルで竹を切り出して町へ出荷するのが主な産業で、ほとんどが農家。失業率がハンパないらしい。
「ミャンマーってみんな親切で安心な国ですねぇ」と感心していると、「いやいや、北部の町は危ない。あと、
マンダレーは悪い中国人マフィアがいっぱいいるから気をつけて」と釘を刺されてしまった。ご参考まで。
駅ナカのカフェでミャンマー流にダラダラとお茶。代金は宣教師さんが支払ってくれた。(^^;;;
ところで、帰国後、撮影した写真を解析していたささちゃんから、「Da Lant Chanの待合室の時間表に107Upが
記載されていない」とメールがあった。
しかしNaypyitawでは希望通りにDa Lant Chanまでの切符が発券され、何の問題も無く降りられたという事実。
変な外人のために特別に停車手配が取られたのか、107UpのDa Lant Chanでの運転停車が恒常化していて
乗降が黙認されていたのかは謎。
Da Lant Chan 9:11 - Sat Thwar 10:54
DF2026,BDUE LED Z(J) 10748(乗)
Da Lant Chanに入線するDF2026牽引の普通列車。ホームは無いのが当たり前。
Magway行の普通列車。
upper classに案内され、駅長、宣教師さんを始め、お世話になった皆さんが手を振ってくれる中、発車。
日本人のミャンマーへのハードルは下がってほしくないな。
ずっと、迷い込んだ人だけが行き着く秘密の桃源郷であってほしい。
陽気な車掌長に気に入られたささちゃん。
英語を話せる車掌長が「日本ってどんな国なの?」と興味津々ニコニコと寄ってきて我々の前に腰を下ろし、
話を弾ませたが、途中、床下で激しくぶつかる音がしたときに、彼が一目散にデッキへ駆けていって
列車状態を確認し、次の停車で部下を連れて床下を隈なくチェックしていたのにはミャンマー人の
気質・特徴をズバリ見たように思える。
下車駅のSat ThwarではBagan発Naypyitaw行の108Dn(RBE5001+RBE5006)が交換待ちしており、
大慌てで撮影。
Sat Thwarで出発待ちの108Dn。載せきれない荷物は紐で車体にくくり付ければいい。
Sat Thwar 12:20 - Pyay 17:10 109Up
RBE5047(乗)+RBE2586
我々の109Upの切符を作成する駅長。
109Upの切符。ちゃんと席が指定されている。旧キハ141,142はordinary classっぽい。
Sat Thwarで切符を買ったり売店で食料を調達したりして待つこと約1時間。
聞き覚えのあるホイッスルが・・・ ついに141が来た!
11:51にNaypyitaw発Pyay行の109Upが入線。
あれあれ? またホイッスルが聞こえてきて、なんと5分続行でPyay発Naypyitaw行の110Dnが入線!
思いもよらなかった交換シーンの展開に、「どこやここ!」「ありえへん!」「えらいこっちゃ!」と狂喜乱舞!
ささちゃんは興奮しすぎて、撮影の立会いをしてくれていた駅長に「この車は日本の北海道から来た!
僕も日本の北海道から来た!」と半泣きで絶叫していた。
駅長さんは英語が割とできたが、そんな感動を理解できるわけがなく、ただニコニコと笑ってくれていた。
キター! これは凄い!! 感動の再会に半泣きのささ氏。
Sat Thwarで運転士が駅裏のレストランから帰ってくるのを待つ109Upと110Dn。
Sat Thwarでは109Up,110Dnとも運転士の昼食で30分程度の停車。
一通り撮影した後、駅長さんに案内されて車内へ。
駅長さん、指定席に座っていた先客を立ち退かせた後、鉄警さんを連れてきて、「彼が鉄道警察です。
彼はここ(斜め後ろ)に座りますのであなた方は安全です」と紹介してくれた。
内外ともに汚れが少なく、まだ運転開始から間もないと推測。
JR時代からの変更点は改軌、屋上機器撤去、ステップ増設くらい。室内と運転台は各種表記に至るまでそのまま。
総括制御を行っているが、キハ142-10のRBE5047は前位側機関のみを使用。
RBE5047とRBE2586の間は幌を使用している。
二重窓はスコール時に有用。しかし現地の乗客はその存在に気付いておらず残念。
室内をネズミが駆け回っていたのがご愛嬌。
RBE5047のホイッスルは幌の上に無造作に置かれていてホースで繋がれている。
途中、売店とカフェのある小さな駅に停車。しばらく停まりそうな雰囲気だったので列車から降りて撮影して
いると、運転助士が「まぁお茶でも飲んでけ」とおっしゃる。促されるままカフェでコーヒーを注文。
しかし長時間停車ではなかったようで、注文するやいなや運転士から「出るぞー!はよせんかー!」と
ホイッスルをピーピー鳴らされ始め、窓でダラ〜となっている乗客たちの白い視線は全て私に集中し、
顔から火が出る思いをした。
けたたましくピーピーやられている中でも、付き添ってくれた運転助士はやっと出されたコーヒーに
「まぁまぁどうぞどうぞ(^^)」とおおらかなものだったが、こっちはもう味なんかわかったもんじゃないって!
(しかも熱すぎてなかなか飲めない・・・)
#ああ、チキンだなぁ・・・(_ _;;)
線路状態は夜行寝台急行も走るバイパス路線(といっても一日数往復の列車しか設定されていないが)
だけあって、割と良く、30km/h〜50km/h程度の速度で延々とサバンナの中を走る。
途中、数kmに及ぶような大規模な掘割区間が何箇所かあり、車窓が閉ざされる。
ご他聞もれず運転室に招かれて、例の運転助士からは水筒のお茶をいただいた。
このような光景が延々と続く。ミャンマーは北海道以上にでっかいどー!
109Upでの車内風景。
PDCを操るミャンマー国鉄の運転士。運転士たちは運転台の漢字について全く理解していない。
運転は、勾配区間でも40km/hで直結→でも3ノッチしか使わないので速度が落ちる→30km/hで変速に
戻して加速、の繰り返し。
気動車の運転方法について、日本から渡された資料は運転士の動作を撮影したDVD一枚だけだという。
そのDVDの動画をああでもないこうでもないと解析し、なんとか動かして停めることができるようになり、
実技伝授方式で運転士を増やしてきたそうだ。そんなだから、本来の設計条件や使い方など知る由も無く、
ありえない高負荷運転をして機関と変速機の寿命を縮めている。
(おそらくどの車とどの車が総括制御可能どころか、総括制御の概念すらもわかっていない。)
気動車が車両としてではなく、機械部品として輸出されていたにしても、供与した側が全くと言っていいほど
取り扱い方法を教えていないのはあまりにもおそまつかつ非人道的で恥ずかしい。
ミャンマー国鉄の運転士たちが口々に、「中国製の機関車はすぐ壊れるのに、日本製のRBEはとても
安定している!操作が簡単で乗り心地もいい!」とRBEを、いや、援助行為を含めた日本全体を絶賛して
くれているだけになお更のこと。
ミャンマーの人たちと話をすると、必ず「日本の技術は何をとってもすばらしい!」と言ってくれる。
日本での運転保守をちょろっと教えてあげれば、RBEはやがて本来の性能を発揮できるようになり、
保守も楽になって寿命も延び、ミャンマー国鉄に日本の製品と技術の優秀さをより実感してもらうことが
できるのにと思うと残念でならない。
残念がっているだけではどうにもならないので、日本生まれの気動車たちを末永く使ってもらうために
何か自分でやれる事はないか探ってみたい。
泥沼で泳いでいた牛飼いの少女たち。
ほったらかしの牛たちが線路に流入して列車を停めてしまい、運転士に怒られていた。(反省の色無し)。
終点Pyayに到着した109Up。おつかれさま。
Pyayでは機関区を一周したあと、ミャンマー三大仏塔のあるシュエサンドー・パヤーを爆笑しながら拝観し
(仏像のLED電飾にはもう慣れてしまっていたが、電動回転式賽銭箱に噴いた)、駅前の酒場へ。
ちょっとだけふつーの観光客みたいなことを(^^;; たそがれ時のシュエサンドー・パヤーを見物。
シュエサンドー・パヤーにて。
おねーちゃんにピントを合わせようとするも、向こうの山にある巨大大仏が顔認識されてしまう。(^^;;
酔っ払ってホームで気持ちよく寝る犬R。
Pyay 23:30? - Yangon 8:15 71Up
DF.2066,BDUE LED Z 10768(乗)
酔っ払ってPyayのホームで転がって寝ていたら、そのうち折り返しYangon行71Upとなる72Dnが到着。
腰掛の白いシーツに虫が好んで群がるupper class座席車にすかさず乗り込んで爆睡。
組成変更の入換が始まって構内をごそごそ引き回されるがお構いなし。
気がついたら本線を飛び跳ねながら快走していて、横で鉄警さんがガードしてくれていた。
・8/17
【Yangon近郊】
運転通告券の通過授受を行う71Up。
ミャンマー国鉄での代表的な閉塞手法は無線通信式で、無線機と電話機を用いて閉塞手続きが行われている。
ほとんどの駅には電気が来ていないため、無線通信の電源として自動車用のバッテリーが定期列車で配給されている。
■Computer Univ.支線運用車
(1本目)RBE2573(キハ47503)+RBE2513(NT103)
(2本目)RBE2589(キハ48302)+RBE2588(キハ48301)
RBE2573+RBE2513 Tha Du Kan-Hlaw Ka(71Up車内から)
■Thilwa Port支線運用車
RBE2547(MR-104)+RBT818
Thilwaで機回し中のRBE2547
■East Univ.支線運用車
RBE2567(平筑101)+RBT819
RBE2567+RBT819 East Univ.付近
■Dagon Univ.支線運用車
RBE2577(MR-111)+RBT835
■Insein機関区留置(7:35)
(列車内から確認できた車両のみ)
RBE2505(名鉄キハ25),RBE2530(36-401),RBE2590(キハ48303),RBE3607(キハ581041)
RBE5002(キハ52109),RBE5011(キハ52110),RBE5019(キハ581514),北斗星風塗装のDD51*2
8/15と変わりなし。
RBE5011
■Yangon工場内チラ見(10:00)
脱線待ち(^^;;の保線員さんに案内されて、ちょろっとだけ入れてもらって、見えた車両。
建屋内で整備中:RBE2533(AR201),旧キハ181一台,旧名鉄キハ30一台,その他いろいろ
屋外留置:RBEP5030(キハ181-45)
工場内を入換機に引っ張られてもぞもぞ:RBE2576?(MR-110?)+旧キハ52(塗装中)+RBE2566(MR-121)
塗装中の旧キハ52他の入換 撮影:ささやすっ氏
■乗車記録(時間は実際の記録を示す)
East Univ. 12:22 - Toe Gyaung Kalray 13:35
RBE2567(乗)+RBT819
East Univ.での機回しシーン。この駅も地盤沈下が酷く、レベルが無茶苦茶。液状化した路盤からは砂が噴出している。
ここまで乗ってきた多くの乗客は機回し中も乗車して、駅の先端の車止めのところで下車していた。
Yangonでココさんと合流し、タクシーでEast Univ. へ行って入線シーンを撮影。
East Univ.は11:45発のところ37分延発。
支線列車の遅れの原因は、雨季の豪雨で路盤が流失もしくは水没し、徐行運転しているため。
噛みタバコ屋の少年と運転助士と食べ物屋の女性。もはや顔見知り。(^^;;
Toe Gyaung Kalray 13:38 - Thilwa 15:15
RBE2547(乗)+RBT818
RBE2547の車内は壁面、天井、機器類がすべてクリーム色のペンキで塗装されており、銘板や注意書きも
塗りつぶされてしまっていた。まぁ、ちゃんと整備されている証拠なので。
そんな中、唯一、運転台背面の「運転士には話しかけないでください」の表示だけが残されていたが、
意図は不明。(日本語表記の意味は全く理解されていないので、おそらく塗り忘れ。)
Thilwaではキハ38の留置を期待していたが、相変わらず24系客車2両が放置されているだけで何もなし。
保税区域への引込み線は雑草が腰の高さ程まで生い茂っていたので、搬入は長期間行われていない様子
よって、キハ38の消息は不明。
Thilwa 15:55 - Oak Po Su 16:38
RBE2547(乗)+RBT818
Thilwaで出発待ちのRBE2547。運転士さん撮影。
RBE2547の機関は日デ製のものに交換されている。
Oak Po Su直前からスコール。
先行客車レがOak Po Suを出たとこで脱線して糞詰まりになっており、先発する↓に乗り換え。
Oak Po Su 17;08 - Insein 19:15
RBE2567(乗)+RBT819
Oak Po Suで抑止中のRBE2567+RBT819をRBE2547から。この先で客レが脱線している。
日本と違い、すぐに復線させて、軌道も保線員がスコールの中ヘイホヘイホ直してすぐに復旧。
復旧を待っているうちに動かなくなってしまった進路上のポイントは、バールでギシギシやったら開いた。
隣のあんちゃんが、スマホでyoukuの下ネタ動画を見せてきてドヤ顔。喜ぶ私にご満悦。
オトコが若い娘を大好きなのは世界共通、宗教がどうであれ思想がどうであれどこへ行っても同じだ。
日が暮れてきたところでココさんと会話が弾む。
ココさんに日本人の友達ができたことを知った人たちは、口々に「それはこれから来る会社の社長だろ?
おまえラッキーだな!大金持ちになれるー!」と言ってくるそうなのだが(ココさんも最初はそういうのを期待
していたそうなのだが)、「いや、日本人は『RBE!RBE!RBE!』しか言わない。RBEのことだけを考えている」
とちゃんと説明してくれているそうで、ココさんの周りでは日本人に対する印象がねじれてきている様子。
RBEの今後についても少々。
まず、27th SEA GAMESの開催にあわせて12月にキハ183系5連による急行列車を計画しているとのこと。
区間はYangon〜Naypyitaw間らしい。
また、急行列車の高速化プロジェクトは、インド製機関車と日本製気動車どちらが運転しやすいかを運転士に
ヒアリングの上、JICA主導に決定されたとのことで、日本の中古気動車の台頭が期待できる。
「次はいつ来られるの?」ということで、職場のカレンダーを引っ張り出して思案。
「1/2〜4なら来られそう」と答えたところで、ココさんの顔がちょっと曇った。
彼はトレーダーズホテルへの転職を画策中だそうで、「次のときにはもう駅にいないかもしれない」とのこと。
月60ドルの駅の案内係じゃモバイルフォンが持てず、友人たちに引けを感じていて、母親からも将来を心配
されているらしい。
Yangonから先は通勤通学ラッシュで満員に。
ココさんに「座ってる人が立っている人の荷物を持ってあげるのがミャンマー流」と教えられ、前に立っていた
女学生の弁当箱(おなじみの金属製三段式)を預かる。
Insein到着後、タクシーでボコボコの砂利道を走ってヤンゴン空港に移動。
タクシーはココさんがいると現地人価格になって安くなるのでお得。
空港前のビアレストランで夕食。
1/2〜4の訪問をココさんに約束。
ココさん、それまでは転職せず、my friendを「れっしゃ」に案内するために駅で待っていてくれるとのこと。
KE472で帰国の途へ。
#次、一緒に行く方はどなたですか?
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