▽ 2000/9/17 (Sun) 02:48:57 ▽ ROKU |
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亀山駅の裏側で、キハ6572の台車を観察していたところ、おもしろい発見がありました。 私の手元にあるキハ6524(四国車)の台車の製造銘板(廃車部品)は、落成時そのままの 昭和45年日車製DT39,TR218の銘板の右上隅に、改造DT39A,TR218Aであることを 示すと思われる「A」のポンチ刻印が打たれているのですが、キハ6572のTR218Aには、 ナントナント!「TR218A,製造番号(空欄),製造年月昭和54年5月,高砂工場」という銘板 が付いておりました!! 製造番号欄の空欄は、改造を意味すると推測されます。 これにより、DT39A,TR218Aの銘板には、(1)もともとのDT39,TR218の銘板に、「A」の ポンチ刻印を入れたものと、(2)改造工場の銘板に取り替えたものの、少なくとも2タイプの 形態があることが判明しました。終始四国にいたキハ6524が(1)の銘板を付けていたこと から、おそらく多度津工場で改造したものは、すべて(1)のタイプであることが想像できます。 多度津工場と高砂工場以外にも、長野工場、名古屋工場、鷹取工場、後藤工場、小倉 工場、鹿児島工場で、台車の改造(OD48取り付け工事)が行われた可能性があり、担当 工場別に台車の銘板がどうなっているのか非常に興味深いところです。キハ65の台車は 振り替えが行われた形跡が認められないことから、この台車の銘板は、キハ65というヤツ を解読する貴重な資料となるハズです。 キハ6572の台車の銘板に、「高砂工場」の文字があらわれたこと!!重要ですねぇ!! 昭和54年というと、キハ6572は和歌山機関区におりました。和歌山機関区にキハ65の 車入れができるような設備があったとは思えず、台車だけを工場へ送ったとは考えられ にくいことから、キハ6572本体が高砂工場に入場したことは間違いないでしょう。つまりは、 和歌山機関区のキハ65は高砂工場が面倒を見ていたと推測できます。有田鉄道のキハ58 003が高砂で全検を受けている謎と何となく繋がりましたね(^^)。昭和54年に和歌山機関区 にいたキハ65は、71,72,73,83,84,511,512の7台で、もとからDT39A,TR218Aの83,84を除き、 71,73,511,512の台車にも、高砂工場の銘板が取り付けられた可能性大(長野からやって きた511,512はちょっと怪しいかな?)です。しかし、71,511,512は電車引っ張られ改造で DT39B,TR218B化されており、73はお亡くなりになったので、台車に高砂工場の銘板を付け た現存キハ65は72の一台だけと思われます。
そうそう、RP No.584のP22に「キハ65の改番を伴わない改造」として、「181系と同様の 台車枠の交換とウィングバネ化」が挙げられているのですが、私の調査では確認できていま せん。どなたかそんな変なヤツ見たことありますか?
#しっかし濃いですねぇ・・・(自爆)
▼ もづさん > いやぁ、本日はヨカまでのつもりが制服姿でナコまで行ってしまいました(^^;;
う〜ん、制服姿かぁ〜! 萌えますなぁ!!(#^◇^#)ゞでへでへ〜 #違うって!!ヾ(^^;
蛍光の青さん!いかがですかぁ??(^◇^;) #違うやろって!!\(__ ) #福知山線の真横の某中高の女の子の冬服、素敵ですよ!(純粋にねっ(^^))
本番前に南四日市までロケハンしたんですよぉ そしたら、南四日市付近で制服姿の方とたくさん出くわしまして、 「ひょっとして、もづさん間に合ったかな?」っと #案の定でしたね(笑) 「待てよ・・・帰ってる暇なんてないだろから、ひょっとして制服??」 #案の定でしたね(爆)
#女の子がケッタの鍵をなくしたらしく、友達と三人で、制服びしょぬれになりながらケッタ #ズリズリ河原田の方へひこずってて、かわいそうだからよっぽど声かけて乗せてあげようか #と思ったけど、ロクゴの時間が迫っておりまして・・・(^_^; #ハイパーの場合は??(爆)
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