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ちょいと前に公開となりましたが色んな都合で割愛となった部分がありました。 せっかく作文してそのまま眠らせておいても再び陽の目を見る可能性も低く、 我的にはもったいない気もするのでここに保存しておくことにしたいと思います。 「はじめに」に続くのが下記でした。
■大糸線用糸魚川のDC配置履歴 大糸線北部には基本的には2エンジン車の配置が継続しており、1972年時点ではキハ51が3両、キハ52が5両、キハユニ26が1両の配置であった。キハ51はキハ55に、さらにキハ58へ置き換わっていったもののおよそこの陣容でJR化を迎えている(編成例は下記参照;Bは異系列で構成される2エンジン車編成が興味深い)。JR化後はキハ58のみの配置が続き、一旦キハ52は大糸線からは姿を消しているが1992年9月1日の越美北線へのキハ120投入、玉突きによりキハ58に替わって再びキハ52が配置され、1994年からはキハ52のみの配置となり現在に至っている。 1994年のキハ52のみの配置となった時点では115,116,124,125,140,156の6両配置であったが唯一非冷房車であった140が2000年3月31日に、124が2002年10月25日に、116が2003年4月30日にそれぞれ廃車となり現状の115,125,156の3両配置体制となった。
@1980.11.2 糸魚川 126D 糸魚川→南小谷 キハ52 41 キハ55 172
A1980.11.2 糸魚川 123D 南小谷→糸魚川 キハ55 249 キハ55 126 キハ51 8
B1980.11.2 糸魚川 128D 糸魚川→南小谷 キハ51 7 キハ55 202 キハ52 43
■3車の配置履歴 125の初期配置時期(長野)を除けば3車共にずっと北陸地域で運用されている。1970年代前半で一時期3車共に富山配置時代があったが分散し、1990年の敦賀配置(越美北線用)で再び同配置となった。この時期に、冷房化、ワンマン化の改造(同時の改造ではなく別個に改造実施;越美北線のワンマン運転開始は1990.6.1)が行われ、また現在の3種類の塗装になる前の白地に緑のストライプである越美北線用塗装になったのもこの時期のことである。その後、富山(大糸線用)・糸魚川配置と一緒に異動している。 下記は国鉄時代の越美北線での編成記録だがCでは現存の2両が両端にあり、Dでは糸魚川での5両配置→3両配置となった際に廃車となった2両が編成中にあるのが興味深いところである。
C1980.9.18 福井 129D 福井→九頭竜湖 キハ52 125 キハ23 516 キハ52 115 逆編成 132D 九頭竜湖→福井
D1980.9.18 美山 131D 福井→越前大野 キハ52 116 キハ52 124 キハ23 12
■現在の運用 直近の大糸線用配置となってからは2連の運用も存在したが配置数の減少により現在は単行運転が基本で3両配置の2両使用となっている。また直江津発糸魚川行きの片道単行列車も今はない。2005年より越中八尾でのおわら臨で使用される運用が見られたが昨年は運転が無かった。下記編成記録でEは直江津運用を、Fは2連運用を示す。 糸魚川地域鉄道部からはHP上で毎月各車の運用予定が発表され、併結運転の情報も掲載されているので参照されたい。なお各車の検査時期には予備車確保のために富山からキハ58+キハ28が借り入れられるケースが多い。
E2001.8.31 糸魚川 9582D 直江津→糸魚川 キハ52 116
F2001.9.1 糸魚川 420D 糸魚川→南小谷 キハ52 115 キハ52 156 キハ52 156は平岩止、折返421Dに充当
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