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キハ220-200の新製にともなって捻出されたキハ31の、直方への転属回
送が行われました。
・日豊線
←西小倉 下郡(信)→
回9530D:キハ31 6+キハ31 23+キハ31 8+キハ31 9+キハ31 11
# 大分駅7番線 20:21発
# 幌は日豊線基準で上り方に取付
# 大分出発時、全車室内灯点灯
1987年2月に#7,#8が新製配置されて以来、大分地区で活躍を続けてき
たキハ31ですが、ついにその活躍の歴史に幕を下ろすことになりました。
キハ31の大分地区での活躍の歴史は、大きく3つの時期に分類すること
ができます。
・草創期(1987,2〜1992,7)
#7,#8の2両体制。「タウンシャトル」のHMも誇らしく、大分都市圏で
活躍。ステンレス車体や2+1の転クロの車内は当時としては珍しく、大い
に注目される。
・全盛期(1992,7〜2002,3)
#6,#9〜15,#21〜23の転入で大所帯となり、大分地区の気動車の完全冷
房化に貢献(のちに#12〜14は人吉へ転出)。大分〜由布院・豊後竹田の単
行列車で大活躍。96年からワンマン化。定員が少なく混雑が恒常化。トイ
レが無いことも問題に。98年から一部車両でロングシート化。
・衰退期(2002,3〜2006,7)
#7,#15,#21,#22の日南転出で6両体制に(大分生え抜きは#8のみに)。
キハ200系の大量転入で主役の座を奪われる。足の遅さや勾配区間での空
転問題もあり、運用区間や走行距離は年々短縮。晩年は大分近郊区間主体
の運用に。
こうして振り返ってみると、キハ31が新製投入された時のことが、つい
この間のことのように思い出されます。趣味誌の記事を読みながら一日千
秋の思いで完成を待ちわびたこと。気動車の常識を打ち破るような、ピカ
ピカの車体と明るく斬新な室内に驚かされたこと。もう20年経とうとして
います。
さまざまな思い出の詰まったサンイチたち。暗闇に遠ざかっていくテー
ルライトが見えなくなるまで、感謝の気持ちをこめて見送りさせてもらい
ました。
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